家族の在り方

「親になろうとしてすみません」

お子さんを虐待して死に追いやった男の言葉ですね。皆様もニュースでご覧になったかと思います。

その言葉、もっと早いうちに出てこなかったものかしらね。と思う原口メロ子です。

 

「親になろうとしてすみません」って言った方が良い親なんて数えきれないくらいいますよ、実際。

ただ、お子さん側がしっかりしていたり、犯罪になっていないから明るみに出ていないだけであって、家庭の中ではいったい何が起こっているか分かったもんじゃないですよね。そもそも自己分析がしっかりできていない人が無計画に親になったり、ただただ世間体を気にして子供を作ったりする人だったり、自分は子供とか興味なかったけど奥さんの意見に押されて作ったとか、まあいろいろですからね。

それでは、ダメ親についていくつかポイントを挙げてみましょう!

 

ダメ親その①:子供に対して「〇〇してあげた」という気持ちでいる。

実は無償の愛じゃない、ってやつですね。普段は無償の愛を装っていても、例えば喧嘩の時とかに不意に口をついて出てきたりします。「授業料払ってあげた」とか、最悪な場合「育ててあげた」とかですね。いやいや、当たり前でしょうって子供は思います。子供からしたら、そっちが勝手に子供作ったんだから押し付けがましいこと言わないでよってなりますよね。親は自分中心でなく、子供の立場になって考えれば、こういう言葉は出てきません。こういう言葉が出てくるのは、相手の立場になって物事を考えていない証拠ですね。

 

ダメ親その②:尊敬できない。

人の悪口を言ったり、差別的な発言をしたり、家族と人生における感動エピソードを共有できないとか、仕事を頑張っていないとか、様々な理由で「尊敬に値しない」親がいると思いますが、ダメですね笑。子供に尊敬されるように、家の中でもある程度しっかりとした態度でいないと、子供からすると「外でだけ良い顔をしている」と疑いの目で見られます。また、親も子供を一人の人間としてきちんと評価して尊敬しないといけません。子供は大人より優れているところが沢山ありますからね。

 

ダメ親その③:両親が不仲で喧嘩が絶えない。

これ、最もダメなやつですね。子供の前で喧嘩する親とか、ほんと自己中極めてます。そもそも、親がもう片方の親を殴る場面を子供に見せるだけでも虐待に相当します。また、そういう親の元で育つと、人間不信になったり、将来暴力を振るうようになったり、生涯にわたって様々な影響が出てきます

 

ダメ親その④:子供の世界に対する想像力が乏しい。

子供の世界はとても敏感で純粋です。お弁当の中身一つとっても、持ち物一つとっても、子供が恥ずかしい気持ちにならないような配慮も必要です。また、子供の世界には「いじめ」等もありますので、やっぱり「いじめには加担しない」「誰かが困ってたり悲しんでたりしたら積極的に助ける」とか道徳心の教育も大事です。いじめる側のお子さんの親も、たぶんダメ親か毒親だとおもいますね。親の影響が子供にバンバンでていると思います。もし、自分の子供がいじめる側だった時、親は自分たち自身を見つめ直す必要があると思いますね。いじめってのは、いじめる側と、いじめられる側がありますが、特にいじめる側の親に問題があると思いますよ。

 

ダメ親その④:コミュニケーション能力がない。

理解しようって思ってないんでしょうね。子供は所有物か、親の言いなりだと思っているのか、子供の気持ちを理解しようとしない親いっぱいいます。

例えばニュースを見て家族で意見を交わすとかすると良いんですよね。経済にしても政治にしても教育や環境問題や貧困問題、世界のニュース等、家族で意見を交わしあうことは、子供だけでなく家族全員にとって良いと思いますトランスジェンダーの人がいた場合、どういう配慮をするべきかとか、災害ごみが環境に与える影響とか、絶滅危惧種をこれ以上増やさない為の人間の経済活動の在り方とか、世界の主要国の税金制度の違いとか、話し合うべきことってたくさんあって、そういうことを子供が小さいうちからですね、家族で共有することによって、子供は次第に「将来はこういう勉強をしてみたい」とか「こういう仕事してみたい」とか「今、この本を読んでみよう」とか、いろいろ興味を持ったりするものです。まだ小さい子にこんな話は難しいだろう、とか思う必要なんてないんですよね。子供の吸収力にまかせて、少し高度でも、家族全員で意見を出し合って考える習慣を小さい時につけることが、子供の将来のためにも、家族圓満のためにも、この社会で家族という小さい単位が果たす役割としても、とても良いと思いますね。

 

Have a nice day!

マナーも守れない大人が、小さい子に教育をする恐怖

ご機嫌いかがですか?^^ 

原口メロ子です。

 

今日の東京は大雨でしたね。皆さん、大丈夫でしたか?

私は服がずぶぬれになって凍え死ぬかと思いました!

 

さてさて、今日の帰り道、電車に乗ったら席が空いていたので座りました!眠かったのでラッキー!

 

と思ったのもつかの間。私の隣に小学校低学年くらいの女の子と、そのお母さんが座ったんですね。小学校低学年生のお母さんにしてはとてもご年齢が上だなあとか思うくらい「大人な」お母さんは、静かな車内で大声で喋っています。眠かった私は・・・眠れません!笑

 

「今日、塾で何やったのっ?!」

 

「計算は3回やったの?!」

「宿題はどれ」

「月曜日に提出するものは、今日のうちにやりなさい!わかった?!」

 

マシンガンのようなお母さんの問いかけに、小さい女の子は必至で答えています。

そのお母さんを真ん中にして、右には私、左には女の子が座っていました。お母さんは私側の腕に傘を2本ひっかけていて、腕に傘を2本ひっかけたまま、カバンからプリントを出したり教科書をめくったりとすごく動くので、濡れた傘が床と水平になるくらいの角度でわたしの膝とかに刺さってるんですけど、そのお母さんは、女の子に対する一方的な「教育」に夢中で、傘が隣の私にぶつかりまくっても気付く様子がありませんでした。最初は我慢していましたが、隣の他人に迷惑をかけてることにすら気付けない人間が女の子に教育していることが滑稽に思えましたし、傘は危ないので、「すみませんが、傘がずっと私の足に刺さってくるので・・・」と小声でそのお母さんに言いました。するとそのお母さんは一瞬こっちをチラッと見て「あぁそう」と言って、傘を対側の手に持ち替えました。

 

謝ることもできないんですね。(笑)

 

こんな人に教育されるなんて、どうなんだろう。と思っていた矢先、そのお母さんが女の子に言いました。

「お母さんありがとう、って言いなさい!」

「何でありがとうって言えないの!塾に通わせてるのはお母さんなのよ!」

 

コワ!コワ!コワ!

 

てか、「貴方こそナンデすみませんが言えないんだよ(笑)」って私は心の中で思いましたけどね!

 

女の子が一層小声になって「・・・お母さんありがとう」って呟いてましたが、その声は明らかに”自分の意志に反して無理やり言わされてる”ものでした。

 

挨拶とかマナーとか、思いやりを持つとか、そういう人として基本的なことが出来ない人が親になるって、本当に恐ろしいものですね。

 

教育って本当に奥が深くて、もともと、そんなに簡単に出来るものではないんです。いろんな世界を見て、いろんな経験をしてきて、辛いことも苦しいことも乗り越えて、周囲の人たちに尊敬されるような人になってやっと「教育」って出来るようになるというか、敢えて「教育」をしなくても、その人の傍にいるだけで「学ぶ側の人間」が自然と「この人みたいになりたい」とか「この人から学びたい」とか思ってしまうくらいが教育者の在り方だと思うんですよね。

 

それは学校の先生でなくても、お父さんやお母さん、兄弟など、一緒に生活していく中で「お父さんみたいに立派な医者になりたい」とか、「お母さんみたいな皆に尊敬される助産師になりたい」とか、「お兄ちゃんみたいに生徒会長として立派に学生生活を送りたい」とか、自然とそう思って、そう思うことで「じゃあ、どうすればいいのか」「何を学べばいいのか」って考えるようになって、お父さんやお母さんから学んだり、兄弟から学んだりしていくわけで。「ありがとう」って言葉も、自然と出てくると思うんですよね。

 

 

 

世界平和を願わずにはいられません!

原口メロ子でした♪

 

真面目で純粋な人ほど、生きづらい。ってオカシクない??

みなさま、ご機嫌いかがですか?

原口メロ子です。

 

人間社会って歪んでるなあ・・・とか、皆さまは感じたことがありますでしょうか。

 

学生さんは、まだそんなに感じないかもしれませんが、社会に出て、特に大きな組織に属すると、組織は大なり小なりの歪みの上に成り立っていることを感じるかもしれませんね。

政治家なんて歪んでる人多いような気もします。国を動かしていく人たちなのに、レベルの低い討論が日常茶飯事になっています。

国会討論とか聞いていると、ホント情けない・・・って思う事、多々ありますよね。

 

それで私は何を言いたいかというと、そうやって人間社会が歪んでいるせいで、純粋で真っすぐな心を持った人たちが生きづらいことが問題であると考えています。

 

よく、真面目な人ほど鬱病になりやすいとか言いますよね。なぜなんでしょう。

それは、歪んだ人間が作る社会が、理不尽で不真面目なことに満ち溢れているからだと思います。妬みなどの負の感情を抑えることが出来ない人間がいて、個々人の、勝手で、歪んだ精神を社会に向けて解き放つからでしょうね。更に会社や国など、大きな組織が持つ強大な歪みに、ちっぽけな純粋は勝つことが出来ません。

目先の利益に飛びついて、視野が狭く、自分のことしか考えていない人が多い世の中です。

 

真面目で几帳面な人ほど鬱になりやすい、とかいって、まるでその人の性格が問題視されているかのようですが、そうではありません。

 

真面目は素晴らしいです。

几帳面も良いことです。

問題は、人間の社会が100%美しくないことにあります。

「正直者が馬鹿を見る」という言葉は昔からあり、本当にその通りだなって感じる局面が多々あります。

 

もっとまじめに生きたい。

もっと美しい心で満たされたい。

優しさの輪が広がっていくような社会に存在したい。

 

動植物を愛し、隣人を愛し、仲間を大切にする。

自分勝手に生きるのではなく、常に相手を思いやって生きていたい。

そんな風に思う人の方が「ちょっと変わってる」って思われてしまうような世の中です。

でも、私は声を大にして言いたい。

 

「歪んで汚れた世界と、それを普通だと思っている人たちこそがオカシイのだ」と。

 

Have a nice day!

ストレス解消法

こんばんわ。こんにちわ。おはようございます。

ストレス メロ子です。

 

皆さんはストレスを発散するとき、何をしていますか?

 

人間社会は歪んでるからなあ。

こんにゃろーーーー!!

とか、思う時もありますよね。

 

理不尽な訳の分からない妬みとか。

自分勝手な行動によるいじめとか、ハラスメントとか。

人間の経済活動による環境破壊とかも心痛むしね・・・。

みんな、きっといろいろあるよね・・・。

 

ストレス発散は、健康的なものが良いと思いますね。

お酒とかは、脳を麻痺させてまともな思考ができないようにしてるだけで、

何だかんだ言って体に悪いです。

飲酒によるアセトアルデヒドが、がんの原因になったりする可能性も出てきちゃうし。

酔っぱらって事故にあって、人生が突然辛いものになる人だっています。

ですので、お酒はお勧めできませんね。

 

それと、ストレス感じると、激辛モノ食べたくなりませんか?

ストレスにより感じている心の痛みを、より強い刺激を与えることで紛らわそうと脳が働きかけてるんですよね、これ。

 

つくづく思いますが、私たちの脳はストレスにとても弱いです。

ストレスに弱い脳は、常に快楽を求めて、ストレスを何とかして打ち消そうとします。

普段しないことをしたくなったり、爆食したくなったりするのも、非日常を感じてアドレナリンを出して脳が気持ちよくなりたいんですね。

 

脳が気持ちよくなりたいだけじゃん!っていう話ですけども、

ま、そうですね、うん、ストレス解消に一番いいのは運動とか筋トレとか、ストレッチングですね。

 

・・・普通の意見だな。

 

 

バッティングセンターもいいかも。

おひとりさまボーリングに挑戦してみようかな。

 

・・・検索してみよっと・・・。

 

何か変わったストレス解消法無いかな~と思って検索したら、

「ムカついた人たちを使用したゲームを作って遊ぶ」

というのがありました。

 

おもしろそう。

てか、ストレス解消できそう。笑

 

なんだろ。すごろくとか作って、

「仕事でミスしたくせに謝りもしなかった大馬鹿野郎が全治3か月の重傷!」

とかいうマス目を作るとかいうことですかね。

そのマス目に止まったら

「やったー!ざまーみろ!!!!!!!」

とか?笑

 

・・・縁起でもねーな。

 

もしくはあれだ、プログラミングを駆使してムカつく人間そっくりのキャラ同士のバトルゲームとか作って、鼻血でて骨折するまで殴って蹴って蹴りまくる!とかですかね。

 

・・・バイオレンス・・・。

 

 

ストレス解消って、いろいろあるんだな・・・。

 

とか思いながら、私は自宅で、ミストサウナ+スクラブマッサージによるストレス解消を試みました。あ、あと、家にあるサンドバックを殴って蹴りました。これ、運動になって良いのよ。しかも普段パンチなんてしないから、毎回必ず翌日には二の腕が筋肉痛になるんだけど、その筋肉痛が上手いこと心の痛みを打ち消して胡麻化してくれるのよね。

 

さてさて、いつも通りスクラブマッサージするだけじゃつまらないので、

足首を揉み解すときに、私にストレスを与えてくる大馬鹿野郎の首を絞める感じでやりました。

 

え?こわい?!

おほほほほ。

 

皆さんもストレスと上手に付き合ってくださいね!^^

 

Have a nice day!

 

乳製品に携わる方々に聞いてもらいたいのです!!!

 こんばんわ。こんにちわ。おはようございます。原口メロ子です。

 

 私は20年位前からベジタリアンなのですが、乳製品は食べるラクト・ベジタリアンです。ベジタリアンになったきっかけは、環境問題に興味を持ったことが始まりで、CO2削減のためでした。そして、ベジタリアンになってから、数々の命を犠牲にして生きることに疑問を持ち、私という一人の人間を生かすために動物の命を犠牲にするのはやめようと強く思うようになり、革製品の購入をやめ、部屋に虫が入ってきたときは出来る限り生け捕りにして外に逃がすようになりました。化粧品等もすべて「動物実験をしていません」という表示のあるものに限定して購入するようになりました。

 

 私は数年前から牛乳の購入をやめて、豆乳かアーモンドミルクを飲んでいます。牛乳はアミノ酸スコア100で健康的な飲み物なのですが、乳牛たちのことを考えると、どうしても辛くなります。

 私たちが飲む牛乳のために、牛たちは6年ほどホルモン剤を投与されたりしながらミルクを搾り取られ、寿命はまだあってこれから先も生きられるのに、「乳牛として使えなくなったから」という理由で殺されてしまいます。私はその、「使えなくなったから殺す」という私たち人間の自分勝手さと、命をビジネスとしてしか扱わない私たちの社会の在り方に疑問を持っています。”疑問を持っていて納得できないことには加担しない”というモットーを貫きたい私は数年前から牛乳とチーズを食べなくなりました。しかしながら、私はヨーグルトを食べてしまうんです。ヨーグルトが大好きなんです!!!勿論、豆乳ヨーグルトをメインで食べているのですが、どうしても牛乳を原料にしたヨーグルトの方がバリエーション豊かで、気になってしまいます。 

 

 更に、食品ロスをなくすために、賞味期限が近くなっているもの、賞味期限が間近になってスーパーで割り引き対象になっているものを、私は積極的に買うようにしています。つまり、牛乳が原料のものも、賞味期限が近くなってるものを見ると買ってしまうんです。スーパーでは圧倒的に牛乳を原料としたヨーグルトが多いので、必然的に、賞味期限が近くなっても売れていないヨーグルトの多くは、牛乳を原料としたものになっている気がしますね。

 

 ・・・自分の生き方を貫くって難しいものですね。と、私はヨーグルトを通じて痛感しています。

 

 私は酪農家でも乳製品メーカー勤務でも何でもないので、偉そうなことは言えませんが、もしもヨーグルトや牛乳のパッケージに、

 

”この製品に使われている牛乳を提供してくれている乳牛は、その任務を終えた後も、自然の寿命が来るまで牧場で幸せに暮らせるよう配慮されています。その為、この製品の売り上げの3%を牛たちの環境を整えるために役立てています。”

 

と書いてあったなら、私はそのメーカさんのもの以外買わないですね。たとえ値段が高くても買います。

 そういう表示が見れることを私は夢見ています。

 

 Have a good dream!

 

 

STARBUCKS episode 2, 信頼してもらうということ

 前回、品川シーサイド駅にあるスターバックスさんでの”ほんわか幸せエピソード”を書きましたが、それが引き金になって思い出したスターバックスエピソードがあるので、STARBUCKS episode 2 としてみます。

 

 米国のスタバさんでのことです。ニューヨーク州のどこかの店舗なのですが、何しろかなり前のことなので、どこの店舗だったか曖昧なのです。でも、私の中では印象深かったんでしょうね。出来事自体は何年たっても色褪せず鮮明に覚えています。

 

 春まで手が届きそうで届かない冬のニューヨーク。寒さから逃れるようにして入ったSTARBUCKSで、私は二人掛けのテーブル席につきました。店内は混んでいるとも空いているとも言えない程度で、人々は思い思いの時間を過ごしています。

 私はひとり、温かいラテをちょこちょこと飲みながら、カバンから本と、年季の入ったポケットサイズの英和辞典を取り出して、本を読み始めました。

 

 日本語でも英語でもそうなのですが、解らないワードや見慣れない専門用語などが本の中に飛び交っている時、読んでいる文章を理解するうえで無視できないワードと、知らないまま読み進めても然程影響の出ない其れとに分かれます。

 

 その時の私は、取るに足らないような本を読んでいましたが、母国語でない英語の本なので、本を読み進めながら、たまに辞書で意味を調べて・・・という繰り返し。

 

  "Excuse me."

 

 ふいにかけられたその言葉で、私は本から目線を上げました。声をかけてきたのは、左隣の2人掛けテーブルの席にいる体のサイズがとても大きい、スーツ姿の白人男性でした。彼は、「少し席を離れるのだが、僕が離席している間、これらを見ていてくれないかな?」と私に言いました。「これら」というのは、彼のテーブルに所狭しとならんでいる2台のノートパソコンでした。

 

 なるほど。パソコン自体が盗まれるのも困るが、パソコンの中に入ってるデータやら仕事上の情報やら、とにかくこのパソコンに何かあったら大変だろうな、と私は瞬時に思いました。

 

  "Sure."

 

 私はある種の使命感みたいなものを感じながら、彼にそう言い、彼は笑顔を見せてから席を立ちました。

 

 本を読むのに集中してしまって彼のパソコンに何かあったら大変だ、と思った私は読んでいた本を伏せ、隣のテーブルでおとなしくしているパソコンたちを常に視界に入れながら、ぼんやりとラテを飲みながら店内の人間模様を観察していました。

 

 パソコンの持ち主は、5分くらいで戻ってきて、「お礼はマフィンでいいかな?」と聞いてきました私はたった5分くらいのことでしたし、別段何もしていないので、「え?!これでスタバのマフィン貰えちゃうの!?」と驚きながらも、マフィン買ってもらいましたね。笑

 

 単純に嬉しかった。笑

 

 冬のニューヨークのスタバで、恋が生まれる話でもないし(笑)、なんでわざわざブログに?と思われると思います

 

 私も、なんでこのエピソード、何年たっても私の中で色褪せないんだろう?と思って考えました。そうしたらいくつか理由がありました。

 

 理由1:”稀”度合い

 

 テーブルにパソコンを置きっぱなしで5分離席しても、パソコンが盗まれない国「日本」に住んでいる私には、こういったやり取りが珍しいんですね、単純に。笑

 文化を学ぶ上でも、こうした小さな出来事の積み重ねは、人としての広がりをもたらします。自分の文化圏にないものを日常の中で自然に体験することが大事ですね。

 

 理由2:信じてもらえたこと

 

 パソコンの彼の右隣に私、左隣のテーブルには3人組の米国人(英語で話していたので米国人と判断しました)が座っていました。後から考えると、英語が通じるかも分からないような東洋人の私に見張り番を依頼してきた理由は、彼が私を信頼してくれたからですね。

 

 人はまず見た目(表情や服装、仕草や全身から放つオーラ)で、相手が信用できるか否かを判断します。その後、長い付き合いになる人とは、時間をかけて、相手の家族友人を含め、お互いの信頼を深めていきます。

 仕事でもプライベートでも、やはり第一印象って本当に大事にしたいですよね。第一印象には、「優しそう」「頼りになりそう」「カッコイイ」「真面目そう」等々いろいろありますが、「このひとなら信頼できそう」という第一印象は最も大事な一つです。なぜなら、この世は「信頼」でなり立っているからです。見た目から受ける信頼もあれば、財産や収入、社会的地位などから判断される信頼もありますが、どんな信頼であれ、やはり大切です。

 

 人種や性別で誰かが差別されることはあってはならないのですが、誰しも多少の差別する心を持ってしまっていることでしょう。私は日本人として生きてきて、直接差別を受けたことはありませんが、この世界で東洋人としての自分を客観視すると、ビジネスで成功した人でもなく、世界的に名を知られるような偉業をなしとげたわけでもなく、ただの一人の日本人である私は、世界の人々から観て、信頼してもらうに足りているでしょうか。何をもって信頼してもらえるのか考えると、一番原始的なことに頼るほかありません。それは、朗らかさであったり、素直さであったり、人としての「あり方」ですね。最終的にはそれらを周りの人に感じ取ってもらうことになるのですが、やはり普段から、TPOに合わせた服装や髪形でいることや、言葉使いであったり笑顔であったりを気に掛けることの大事さに、自分自身で気づいていないといけませんね。他人から言われてするとかではなく、あくまで自分で気づくことが大事です。そして、そういうことに気付くためには、信頼してもらえた時、信頼してもらえなかった時、どんな小さなことでも自分の頭で考えることです。

 私は、見ず知らずの米国人ビジネスマンに信頼してもらえたことが嬉しかったんですね。だから私の脳は、このエピソードを長年にわたって、長期記憶の引き出しに入れたんですね。「信じる」「信じてもらう」これは小さな子供にとっても大事ですし、大人にとっても、仕事をするうえでも非常に大事です。漠然と生きるのではなく、日々の小さな出来事から学んでいく姿勢を私は崩さずにこの先も生きていこうと思います。

 

 理由3:小さなお礼

 

 日々思うのですが、仕事ができる人や、サービス精神がある人、周りの人々に幸せでいてほしいと願っている人は、小さなプレゼントや、さりげないお礼状、気の利いた行いを欠かしていませんね。たった5分パソコンを見張っていただけの私にマフィンを買ってくれた彼も、きっとサービス精神にあふれた人格者なのでしょう。

 

 さて、STARBUCKS episode2 と名付けた割にSTARBUCKSさんが舞台であったというだけでしたが、どこの国でもSTARBUCKSさんの店内って基本的には心地いいんですよね。だから小さなエピソードが沢山生まれているんじゃないかと個人的に思うわけです。

 

「うまく言葉では説明できないが雰囲気がいい」というのは、誰にでもできることではありません。STARBUCKSさんは見事それをやってのけていますし、私も一人の人間として、「なんだか雰囲気が良いな」と周囲に思ってもらえる人間になりたいものです。

 

 以上、原口メロ子でした☆彡

 

   Have a wonderful day! 

スターバックスの店員さんの仕事っぷりに感動した話。

 こんにちわ。珈琲好きな原口メロ子です。

 

 昨日、品川シーサイド駅スターバックスコーヒーさんでコーヒー豆を購入しましたが、店員さんの接客がとっても好意を持てる其れでありましたので、ブログに書きたくなった次第です。^^

 

 私はエスプレッソが好きというか、薄い珈琲があまり好きではないんですね。朝イチの目覚めてない胃には薄い珈琲。具合が悪い時も薄めの珈琲。それ以外は一日中濃い珈琲。といった感じです。

 

 さて、濃い珈琲が飲みたい私はスタバの店員さんに、「フィルターで濃い珈琲を入れたいのだが、何番で挽いてもらうと良いか教えてほしい」といった趣旨の話をしました。

 

 濃い珈琲が好きだとかいいながらも、私はエスプレッソメーカーを壊してしまって以来、フィルターで珈琲を淹れているのであります。エスプレッソメーカーしか使ってなかった時には気づきませんでしたが、フィルターはフィルターで良いものだなあ、と思いましたね。しかしながらやはりエスプレッソが恋しくなるわけです。そこで私は思ったのです。フィルターでエスプレッソを淹れたい!という我儘っぽいことを、スタバの店員さんにとりあえず言ってみよう!と。

 

 ひととおり私の勝手な話を真剣に聞いて下さった店員さんは、50グラムずつの豆を1番から5番まで挽いて、飲み比べてベストを探してみてはいかがですか?という提案をしてくれました。

 

 そんな面倒なことを積極的にやってくれようとする店員さんの心意気に感動しましたね。なんて良い人なんだ!!!!

 

 店員さんは250グラムの豆を50グラムずつにわけて挽いてくれたので、紙袋の中には小さな袋が5個入っていました。なんだか、余計な袋を使って資源を無駄に使っているという罪悪感を持ちながらも、5種類の挽き方の違いを飲み比べるというワクワク感もありました。

 

 しかも、お会計時貰ったレシートにアンケートのQRコードがついていて、其れに応えてカプチーノのトールサイズを無料でいただいてしまいました。後で知ったのですが、そのアンケートは全員のレシートにあるものではなくて、時々しか遭遇しないものらしいのです。なんだかすみません!と思いながら、挽きたての珈琲豆と温かいカプチーノと、そして店員さんの笑顔で、私の心は幸せになっていましたね。

 

 さて、1番から5番までの珈琲豆ですが、1番は群を抜いて粒子が細かく、驚いた事にフィルターがつまって(?)注いだお湯がコーヒーカップになかなか落ちてこなかったところが一番面白い発見でした笑。多分、フィルターの粒子を通す隙間と、珈琲豆の粒子の大きさが同じくらいなんですかね?笑 コーヒーカップにすべてのお湯がコーヒーとして落ちてきたときにはすでに冷たい珈琲になっているくらい、時間がかかりました。笑

 ただ、1番(で挽いた豆)は、味でいうと私の求めていた「フィルターで入れるエスプレッソ級の珈琲」に一番近かったですね。フィルターに残った珈琲豆は、その細かさからサンドアートのごとくで、ずっと見ていると、まるで自分が砂漠に迷い込んだような気分になれる美しさでした。

 「フィルターで入れるエスプレッソ」として優秀だったのは2番で挽いた珈琲豆でしたね。ほんとうに濃く出ます。しかも1番みたいにフィルターにつまらない。笑

 連続で飲むなら4番か5番がいいかなと。

 結局、どれも美味しいんですけどね。笑

 

 一日に何杯も珈琲を飲むので、なにか新しいことを常に求めてしまいます。珈琲豆の種類やフレイバーはすべて制覇してしまって、少し物足りなくなった時、こうして店員さんの新たなご提案をいただけたり、幸せハプニングがあったり、少しのおまけがあったり、小さな変化がもたらす大きな幸せというものは何にも勝るものがあります。

 

 I appreciate all STARBUCKS's kindness.

Thank you for everything!